今治の謎 今治よいとこ・こだわりガイド
線

今治の謎100
今治は南北朝の戦いの舞台だったの?

南北朝
 南北朝の時代、河野水軍、村上水軍は南朝側にたち、活躍しています。この時代、今治周辺と愛媛県は動乱の舞台となりました。

 今治は「太平記」にその名前が登場することでわかるように、戦いの中心となりました。新田義貞の弟、脇屋義助公が四国総大将として下向し、今張(今治)の浦に到着。南朝勢は意気上がり、四国は南朝の手に統一されることが近づいたのです。義助は国分寺に入り軍議を練りましたが今治に到着するとすぐに命を落としてしまいました。36歳でした。義助の死は南朝側にとって大打撃。戦が好転しかかっていたのに残念な結果となったのです。

 国分寺の近くに義助の墓があります。

 お隣の東予市との境の世田山の攻防戦や松山の星岡の戦いなど四国には南北朝の戦いの跡が数多く残っています。

 南北朝の戦いで今治は歴史の表舞台に立ったのです。また、新田義貞の息子、義宗が今治に落ち延びたという伝説も残っています。
今治の謎100
今 治
水 軍
しまなみ
歴 史
産 業
交 通
生 活
観 光
人 物

再び今治の謎
今治人の章
今治弁の章
今治のいちばんの章
古代・中古の今治の章
水軍の章
藤堂高虎の章
江戸時代の今治の章
明治以後の今治の章
今治あれこれの章

 

戻る トップページ 進む


利用規約 | 登録店舗募集 | 著作権・リンク | お問い合わせ
Copyright© 2003 by DAIICHI SERVICE CO.,Ltd.all rights reserved.