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今治の謎100
今治に県庁があったって本当なの?

県庁の変遷
 明治四年(1871)7月14日廃藩置県の詔書が発せられ、翌15日、今治藩から今治県に変わりました。しかし、同年11月、今治県はなくなり、松山・小松・西条県と合併し松山県となりました。

 明治5年(1872)2月に松山県は石鉄県(せきてつけん)と改称されました。明治5年10月2日、石鉄県は県庁を松山から今治に移転することを大蔵省に書類を提出し、17日に許可を得ています。理由は地理的に今治が石鉄県の中心になること、旧今治藩庁の建物が利用できるため、費用が不要とのことでした。

 県庁の移転は明治6年(1873)1月13日に行われ、17日に開庁。同年2月20日には石鉄県と南予の神山県が合併し、愛媛県となりました。3月1日にはまた今治から松山が県庁となり、23日に開庁されたのです。

 わずか3ヶ月あまりでしたが今治が県庁であったことは間違いないのです。
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