今治の謎 今治よいとこ・こだわりガイド
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今治の謎100
今治ってどこにあるの?

 平成11年(1999)5月1日、瀬戸内しまなみ海道で尾道市と結ばれた今治市。四国側、愛媛県の瀬戸内海にこんもりと飛び出た高縄半島の先端にある小都市です。
 人口は約12万人。面積は74・82平方キロと狭いのですが、海岸部の白い砂の長い汀と緑の松林のコントラストが美しく、海水浴に最適。また、来島海峡の急潮の景観や中世の石造文化の遺跡、春祭の継ぎ獅子など観光資源も豊富です。

 今治市は瀬戸内海の阪神と九州を結ぶ航路の中央に位置するため、古くから商工業や交通、文化の要として発展してきました。古墳も多く、8世紀半ばには国府や国分寺が置かれたこと、当時の南海道官道が今治を終点としていることからも四国の中心として位置していたことが分かります。又、南北朝時代の戦場や秀吉や小早川勢との戦いなど今治が重要な位置だったことを物語っています。

 関ヶ原の戦いの後、藤堂高虎が20万石で今治城を築城。瀬戸内海運を掌握するために海辺城を作りましたが伊勢・津に移封。その後は徳川御三家に次ぐ家門の久松家が今治に入り、平穏な藩政時代が続きます。

 幕末から明治にかけて、今治は地理的特長を活かし、経済的な発展を遂げます。例えば、日本初の月賦販売を行い瀬戸内海を回船した桜井漆器。綿替木綿から発展し、ネルやタオルといった織物の巨大産地となります。今治人の進取性は四国初のキリスト教会の建設や開港場指定となって現れます。明治22年(1889)に今治町、大正9年(1920)には四国で6番目の都市として今治市となっています。

 現在は「四国の大阪」と呼ばれるように、タオルと造船が盛んな臨海工業都市。特にタオルは全国の生産高の60%以上を占め、生産日本一です。また、造船は近世の帆船、明治以降の機帆船など水軍を始めとする地元の海運業と関係が深く中小型船建造の中心。日本一の企業もあります。「石を投げれば社長に当たる」と言われるほど独立の志が高い土地柄だけにさまざまな分野で世界的な人物を輩出しています。
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