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今治の謎100
今治の名前の由来は?

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 今治は最初から「いまばり」と呼ばれていたわけではないのです。「いまはり」「いまはる」「いまばる」など様々に使用され、一定していませんでした。

 文献を見てみると13世紀頃に一遍上人の聖絵に「今針」、東大寺の僧、凝然におくった消息文に「今治」が登場。別に「今治の津」とも「今針の津」ともあります。14世紀後半には「今張」と「太平記」大館氏明の章に載っています。
 慶長6年(1600)藤堂高虎がこの地を統治する際に「これからこの地を治める」の意を込めて「今治」と命名してからこの表記が一般化されます。しかし、どの表記や呼び方も新しい開拓地という意には変わりがなく、貝塚時代以降、低湿地開拓がなされた地域という意味で「今墾」とも表記されています。

 明治維新後の表記では今治英学校の教師をつとめ、「不如帰」で知られる作家の徳富蘆花は「黒い目と茶色の目」の中で「伊予の今治(いまはる)から・・・京都へ行った」と記述しています。「いまはる」は大和田建樹作詞の「伊予鉄道唱歌」にも唄われており、「イマハルいでし わが船は」との一節があります。

 大正9年2月11日、市政がしかれると問題になったのが市の呼称。大正9年9月8日、今治を「いまばり」と呼称することが市議会で議決され、今日に至っています。しかし、他の地域の人たちにとって「今治」という名前は読み難かったようで、薬の名前「今治水(こんじすい)」をとって「こんじ」と呼ばれることも多かったようです。

 森光繁さんの「伊予水軍物語」(今治商工会議所)によると日本に来たレプチャ語を使う天孫民族が「いまばり」と名付けたといいます。レプチャ語では「い」は「美しいとか大きい」という意味。「ま」は強意語で「いま」は「とても美しい」という言葉になります。「ばり」は「広々としたとか大きい」という意味ですから、来島海峡を乗り切り、今治の地に上陸した開拓者の目に映る広々と美しい今治平野の姿を「いまばり」と称したのかもしれません。

 チベット語で「いま」は「陸」を表す言葉。「はり」は「ゆる」の変化で「ゆる」は「広い土地」の意味。どちらにしても海の長い航海を終え、大地に立った人々が発した言葉から「いまばり」となったと言えそうです。

 海を旅してきた人々の血が私たち今治人の身体に流れているのは間違いがなさそうです。太古の言葉が「今治」になったなんて、ロマンチック。いまばりは古くから感動的な名前だったのですね。
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