今治の謎 今治よいとこ・こだわりガイド
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今治の謎100
今治の地名で変わったものは?

 まずは「どんどび」。今治市の商店街から伸びる常盤町筋と県道の交差点、今治銀座の入口あたり。「呑吐樋」と書きます。字の如く川をさかのぼって押し寄せる海水を呑んだり吐いたりする樋門という意味。三重の堀があった今治城の外堀が泉川と金星川となり、残っていますが、今の川幅6メートルほどとは違い17間(31メートル)もあったといいます。この雄大な名前は決して大袈裟ではなかったのです。「どんどび」の樋は今治大丸の前にありました。今では呑吐樋の由来を書いた碑が残っています。

 「いてんち」。今治城の東、かつて花柳界のあった場所。昔の隆盛は見られないが、今も老舗の料理屋が残っています。この「いてんち」は「移転地」と書きます。大正10年頃、時の警察署長によって花柳界の移転計画が練られました。大正12年9月に芸者置屋、料理屋などが移転。置屋は10軒、芸姑は55名だったといいます。「移転地」だから「いてんち」という理由。

 唐子浜や唐子山の「からこ」。唐子山から今治城の建築のために藤堂高虎が国府城を壊して材料を運んだ後、山頂に松を植えました。それが瀬戸物の絵でよく見かける唐風の子供の頭に似ていたことからこの名前がついたそうです。

 この唐子山から今治を眺めたときには標高244メートルの山が近くに見えたことから「近見山(ちかみやま)」という名前がついたといいます。他に明神山とか石井山ともいいますが、やはり近見山で知られています。この近見山は室町時代には山頂は城になっていたといいます。近見山があるのなら、遠見山があるかというと、あるんですね、これが。波方町にある「遠見山(おみやま)」標高156メートル。正式には海山(うみやま)といいます。また他の説では水軍がのろしを上げ、近見山と遠見山で連絡を取り合った、といいます。

 来島海峡大橋の架橋地点にある花の島「馬島」はその名の通り、馬との関係が深い島です。この島には野生の馬が生息していたとの伝説が残っています。江戸時代末期には軍場の放牧が行われたこともありました。
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